なぜ叡智はコップからこぼれ落ちてしまったのか
ここ数年、ずっとモヤモヤしていたことがあって上手く言語化出来ずに引っかかっていたことが、立て続けに偉人の文章に触れてざっと整理できたので、φ(..)メモメモ。
公開された時系列とはずれてますが、自分が読んだ順にご紹介します。
- シリコンバレーの「何が」凄いのか / 日経BP 中田さん
- 日本サッカーの重大な課題は、「抽象化できないこと」である。五百蔵容×結城康平対談(2)
- 日本の国民性は知識の体系を拒絶する / 翻訳家の鴨澤さん
中田さんの資料は一部界隈ではバズったと思いますので読んだ方も多いと思います。いまシリコンバレーにいらっしゃるんですね〜。
2番目の対談記事は JAWS-UG CLI専門支部 などの活躍で有名な波多野さんのFacebookシェアで発見しました。ほんとこれ完全にサッカーの話じゃねぇ(笑)
最後の記事は我らが沖縄の野人(!)鴨澤さんのポスト。これも過去バズったので見たことある方は結構いると思いますが、ここで並べてみると見事なまとめに思えます(時系列では先頭ですが)。
さて、これらの記事を一読して、ほぼ同じテーマに言及されていて、何が腑に落ちたかというと、つまりこういうことかと。
Photo via VisualHunt.com
キーワードは【共有】
経験を積んだ大人たちがやるべきことは、自分の経験を体系化し、共有すること。そしてそれを文化にすること。
そんなの当たり前じゃん?というと然にあらず。
「社内勉強会なんて無駄だ、公開しろ!」と言い続けても社内勉強会は無くならないし、いつまで経っても職人の修行は技術は盗むものだし、「ノウハウ(笑止)を共有するから」と言ってはNDAを結ばさせられる。
勉強会と称して偉いひとの話をありがたがって聞いたり、スタートアップ支援と称してリスクを取れないお金が出てきたり、老舗の死に体の会社の別案件にお金が突っ込まれたり、かと思えば若い子たちにビジコンけしかけて、挙句は上から目線でけなしてみたり。
違う、やるべきことは、そういうことじゃないんだ。
失敗を許容して何度でもトライできるようにすること、それを美徳とし、社会で共有出来る文化、または精神的・時間的・金銭的余裕を持つ、そういう社会を作る努力をしていかないといけないんじゃないの?
ビジネス(アイデア)は十中八九以上は失敗すると認識すること、その成功/失敗の定義、振り返りの方法と次回への改善手順、そしてこれらを社会全体で共有すること。
「オラのノウハウバラしてなるものか!」というプライドなのか、日本人特有(?)の恥の文化のようなものが邪魔しているのか何なのか、すごく地味で下らない話な気がするけど、上記3ポストを読んで改めて確信。やっぱり全然「叡智の共有」って出来ていない。
おそらく、「知識を共有すると損する」とか、「ノウハウなんだから教えたくない」という意識が根本にあるのだと思いますが、これは認知バイアスであり、間違いだということは既に証明されています(が、深掘りするとまた別の話になってくるのでここでは割愛します)。

「明文化できない」は単なる甘え
自分の経験や知識を明文化するのは確かに難しい作業だし、誰にでもできることじゃない。更には明文化したあと体系化し普遍的なルールに落とし込む部分なんて、相当ハードルが高い。
でもね、それが出来るのと出来ないので、競争力に差がついてるんじゃないの?そのために地域には専門学校とか、大学・大学院とか、高専とかアカデミックに軸を置いてる組織があるんじゃないの?
若い労働力を搾取するために産学官連携するだけじゃ、目指す未来はやってこないし、個々の素晴らしい取り組みも、地域・社会全体として共有されないんじゃ社会的価値が出てこない。
と考えてみると、あらゆる業界に見受けられる「オレの技を盗め」的なOJTというか徒弟制度というようなものって、明文化・体系化出来ていない/出来ないケースでの甘えというか逃げというか、最後の手段、だったんでしょうね(徒弟制度を全否定するわけではなく、「明文化を端から諦めてしまうこと」を否定していますので、要注意)。
なにか、過去存在した膨大な量の才能の煌めきや、努力の結果勝ち取られた叡智が、どこかに霧散してしまったような悲しいイメージが浮かんできます。
この小さい島国、その中にさらに小さい島であるここ沖縄、資源と言ったら人しか無いのに、もったいない・・・。
じゃあどうすべき?
具体的なアクションとしては、ここ数年の自分のテーマである「コミュニティーでの共有」というところに落ち着くわけですが、ここではもう少し広い主語で考えてみます。
IT業界ではそもそもコピーしやすい素材を取り扱っているし、従来からオープンソースのような恩恵にあずかっている関係上、ナレッジの共有という部分については寛容なのであまり心配していないんですが、例えば教育・芸術・経営・メディア・政治と言った分野はどうでしょう?
一足飛びに体系化まではいけませんので、まずは共有するところから始めませんか?
上手く行かなかった教育メソッド、失敗したチャレンジ、上手く行ったメディアミックス、そういったものを広く共有して、自分の活動にフィードバック、更にはその経験を更に広く共有し直す、そういった機会はありますか?(「勉強会」と称したなんとかセミナーや、居酒屋与太話で共有するレベルの話じゃないですよ?)
やれるところから、地道に「共有する文化」を作っていきませんか?
もし公共のお金を投入する必要があるのなら、箱物作って孫に自慢するんじゃなくて、点と点を線で繋いで道筋を作るような、民間ではありえないビジョンを実現するような、そういうところにお金を使ってもらいたいなぁ、と切に願います。
メモと言う割には長々と書きましたが、というような企みに興味を持たれた方、ぜひご連絡ください!